自分の音楽史(1975年)
1975年(昭和50年) -高校1年-
自宅から一番遠い高校(しかも県内で1,2を争うヤンキー校)に無事に合格し、念願のマイステレオを手に入れた。その一番遠い高校は実は祖父母の家(本家)から歩いて7,8分の場所にある。自宅からは遠いが本家からは激近!!父親が定年退職後、両親はその本家に移り住んだが、残念ながら2011年の震災ですべてが流されてしまった。
中学時代にバスケ部に在籍した自分は、高校入学後も迷わずバスケ部に仮入部。しかし一週間もしないうちに挫折、すぐにバトミントン部へ入部するが、こちらも2ヶ月もしないうちに退部。そして軽音部へ。体育系の部活を辞めたときにはオヤジからかなり怒られた。「根性なし!!そんなことでは将来何をやっても中途半端な人間になってしまうぞ(怒)」頭は悪いが根性だけはある息子に育てたっかったのだろう(笑)
そのころから髪を伸ばし始めた。クラスメイトの半数は剃り込みありのツッパリヘア(笑)
FronptonのSGギターで、大好きなBad Companyのセカンドアルバム「Straight Shooter」を全曲耳コピーする日々。もちろん完コピはできなかったが、ギタリスト、ミック・ラルフスの手癖フレーズはしっかりコピーできた(笑)
のちにランDMCによってさらに有名になったAerosmithの「Walk This Way」もリフもすぐに弾けた。ポールマッカートニー率いるWingsの「Venus&Mars」もよく聴いた。Eaglesの「One Of These Night」はこの年にリリースだがリアルタイムでは聴いていない。
ハードロック系では、Deep Purpleを脱退したリッチーのバンド「Ritchie Blackmore’s Rainbow」が大活躍。プログレ系では、Pink Floydが、「狂気」のプレッシャーをはね飛ばし「Wish You Were Here」で大復活。
この頃、FMラジオをかけると「クロスオーバー」という言葉が頻繁に登場した。インスト音楽をそんなジャンルで括ってしまおうという業界の動きがあったようだが、後にフュージョンと呼ばれるようになる。
マイステレオを手に入れたものの、少ない小遣いからレコードを買えるわけもなく、同級生や同級生の兄貴が所有しているレコードを借りてきてはモノラル録音ばかりしていた。もちろんFMラジオのエアチェックも欠かせなかった。ちなみにFMレコパルの創刊は前年の1974年である。
高校1年の終わり頃にはすっかり髪の毛も伸びて、見た目だけはいっぱしのロックギタリスト!に成長していた。
1976年(昭和51年)ー高校2年ーに続く