音楽史

2016年8月17日 (水)

自分の音楽史(1975年)

1975年(昭和50年) -高校1年-
自宅から一番遠い高校(しかも県内で1,2を争うヤンキー校)に無事に合格し、念願のマイステレオを手に入れた。その一番遠い高校は実は祖父母の家(本家)から歩いて7,8分の場所にある。自宅からは遠いが本家からは激近!!父親が定年退職後、両親はその本家に移り住んだが、残念ながら2011年の震災ですべてが流されてしまった。

中学時代にバスケ部に在籍した自分は、高校入学後も迷わずバスケ部に仮入部。しかし一週間もしないうちに挫折、すぐにバトミントン部へ入部するが、こちらも2ヶ月もしないうちに退部。そして軽音部へ。体育系の部活を辞めたときにはオヤジからかなり怒られた。「根性なし!!そんなことでは将来何をやっても中途半端な人間になってしまうぞ(怒)」頭は悪いが根性だけはある息子に育てたっかったのだろう(笑)

そのころから髪を伸ばし始めた。クラスメイトの半数は剃り込みありのツッパリヘア(笑)

FronptonのSGギターで、大好きなBad Companyのセカンドアルバム「Straight Shooter」を全曲耳コピーする日々。もちろん完コピはできなかったが、ギタリスト、ミック・ラルフスの手癖フレーズはしっかりコピーできた(笑) 
のちにランDMCによってさらに有名になったAerosmithの「Walk This Way」もリフもすぐに弾けた。ポールマッカートニー率いるWingsの「Venus&Mars」もよく聴いた。Eaglesの「One Of These Night」はこの年にリリースだがリアルタイムでは聴いていない。
ハードロック系では、Deep Purpleを脱退したリッチーのバンド「Ritchie Blackmore’s Rainbow」が大活躍。プログレ系では、Pink Floydが、「狂気」のプレッシャーをはね飛ばし「Wish You Were Here」で大復活。

この頃、FMラジオをかけると「クロスオーバー」という言葉が頻繁に登場した。インスト音楽をそんなジャンルで括ってしまおうという業界の動きがあったようだが、後にフュージョンと呼ばれるようになる。

マイステレオを手に入れたものの、少ない小遣いからレコードを買えるわけもなく、同級生や同級生の兄貴が所有しているレコードを借りてきてはモノラル録音ばかりしていた。もちろんFMラジオのエアチェックも欠かせなかった。ちなみにFMレコパルの創刊は前年の1974年である。

高校1年の終わり頃にはすっかり髪の毛も伸びて、見た目だけはいっぱしのロックギタリスト!に成長していた。

1976年(昭和51年)ー高校2年ーに続く

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2016年8月12日 (金)

自分の音楽史(1974年) その2

1974年(昭和49年) -中学3年-

高校入学のために必死になって受験勉強をしなければならないが、相変わらず音楽にどっぷりつかっていた中学3年生。両親からは「絶対に進学校に入学しろ!」などと言われることはまったくなかったが、さすがにまったく勉強をしない自分をみて、「どこでもいいから高校に入れ!」と言われていた。

そして、夏休みを過ぎ秋になっても勉強しない自分に、焦った両親は人参をぶら下げる作戦に。

「高校受験に合格したらステレオを買ってやるから、少しは勉強しろ!」

その当時リビングには大きなステレオはあったものの、自分が好きな音楽を大音量で聴ける環境ではなかった。
「やった!!自分の部屋でレコードが聴ける!!」
大喜びしたのは、翌月15歳になろうとしていた11月だったと記憶している。


ボブ・ディランは、「偉大なる復活」に収録されている「It's Alright, Ma」を74年のツアーで歌った。「大統領でさえ時には裸で立ち尽くさなければならない」ニクソン大統領がウォーターゲイト事件の責任をとる名目で大統領を辞任。スティービー・ワンダーの「悪夢」もそんな社会状況を反映した曲だった。そんな鬱憤を晴らすためなのかダンスナンバーもよくヒットした。ジョージ・マックレーの「 Your Baby」は懐かしいダンスダンバーだ。

元日本兵・小野田寛郎がフィリピンで30年ぶりに救出
田中首相、辞意を表明
「わが巨人軍は永久に不滅です」(長島茂雄、引退試合後のあいさつ)
かもめのジョナサン
ノストラダムスの大予言(五島勉)
GORO[講談社]創刊
エマニエル夫人

1974年はそんな時代だった。

よく聴いたLP盤はこちら
Rod Stewart / Faces Coast Overture And Beginners
Gordon / Lightfoot Sundown
Slade / Old New Borrowed And Blue
Deep Purple / Burn
Queen / QueenⅡ,
Sheer Heart Attack
Cat Stevens / Buddha And The Chocolate Box
Bad Company / Bad Company
Eric Clapton / 461 Ocean Boulevard
Jackson Browne / Late For The Sky
John Lennon / Walls And Bridges
King Crimson / Red
The Rolling Stones / It's Only Rock 'N' Roll
Joe Walsh So What

次回、1975年(昭和50年) -高校1年生- に続く。

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2016年6月10日 (金)

自分の音楽史(1974年) その1

1974年(昭和49年) -中学3年-

田舎の中学生といえども、3年生になれば否が応でも高校進学のことを考えなければならない時期。そんな時期に勉強などしないでレコードやカセットテープを聴きながらギターばかり弾いているバカな自分。両親からは「高校に入れなかったらどうするの!」と毎日叱られていたような記憶がある。教科書を読むより「ミュージックライフ」を読んいる時間の方がはるかに長かった。しかも何度も読み返すから、その当時の記事の内容は脳裏に焼き付いている。自分の人生はこの中学3年間で決まったのだと思う。ちなみにひとつ上の兄は、にスンナリ進学校に入学。できのいい兄に盆暗な次男坊というよくあるパターン。

この年に実はクラシック音楽にも興味を持ち始めた。きっかけになったのは音楽の教科書に載っていたドヴォルジャークの「家路(注)」。

注:正式にはドヴォルジャーク作曲交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」の第2楽章 Largoの一部の旋律のことで、このイングリッシュホルンの旋律に歌詞をつけたものを『家路』というらしい)

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注:当時購入したレコードは廃盤になっていたので実際に購入したものではありません

この「家路」を教材に音楽の先生に簡単な和声を教えてもらうことになる。ギターコードが載っていない譜面でも調と旋律さえ書いてあれば、ギターコードを付けられるようになったのはこの音楽の先生のおかげである。そしてこの音楽の先生は実は英語の先生でもあったことが、さらに洋楽を好きになっていった理由でもあった。

ほかの教科の先生の顔と名前は忘れても、この音楽(英語)の先生のことはいまでもハッキリ覚えている。

(次回、1974年その2に続く)

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2016年6月 2日 (木)

自分の音楽史(1973年)その2

1973年(昭和48年) -中学2年生- その2

その年に手に入れたグレートなアイテム(ギター、ラジカセ)をフル活用して、勉強もせずどっぷりと音楽漬けの毎日だったような気がする。というかそれしか覚えていない。

そしてブログを書きながら、いろんなことを思い出す。E.ギターを弾くには音を増幅するアンプが必要。そうだ、そうだった!アンプも一緒に手に入れた。縦長のテスコのアンプだった。トレモロは付いていたけどスプリングリバーブは付いていなかった。実はそのアンプは2011年の津波で流されてしまった。本当に残念なことをした。これがそのアンプ!

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(画像はネット上からお借りした)ネット上では今でも1万円前後で売り買いされている。

ギターを弾き始めた頃、弦をチョーキング(ピッチベンドともいうが、弦を弾いた後に押弦している指で弦を引っ張り、無段階に音の高さを変えるギターの演奏技法)を用いた演奏法を知らなかったために、「どんなフレーズを弾いても全然ロックっぽくない!」ペケペケサウンド。

チョーキングを知ったのは、音楽情報誌「Guts!」からだった。なんとこの「Guts!」は、ビートルズの解散した日に発行されたというから驚く(゜o゜;

音楽雑誌が大量に出回っていない時代に最新の音楽情報や理論、コピー譜、メロ譜などを紹介してくれたのが、この『guts』だった。その他にも季刊誌「ヤングセンス」という雑誌もあった。

そんな影響もありE.ギターで演奏するのはもっぱら邦楽。チューリップの「心の旅」の間奏や、沢田研二の「危険なふたり」のイントロを弾けるようになるまではそんなに時間はかからなかった。

この年岩手が生んだフォークグループが誕生する。ニュー・サディスティック・ピンク、NSPと言えばピンとくるかもしれない。抒情派フォークの代表のようなイメージを持っている方が多いと思うが、実はE.ギター、E.ベース、生ギターの3人編成でロック調の曲なども演奏していた。ファーストアルバムでは脳天を切り裂くようなギンギンなファズサウンドも聴ける。E.ギター初心者には持ってこいの教材だった。

初めてレコードを購入したのもこの年。EP盤はアルバート・ハモンドの「フリーエレクトリックバンド」。初めてLP盤は、T.Rexの「グレイトヒッツ」。両親のステレオを借りて、すり減るまで聴いた。この「すり減るまで」という表現はよく使われるが、当時はまめにレコード針を変えていなかったせいもあって、本当にすり減ってしまったから笑える。

当時の人気番組「太陽にほえろ!」でマカロニ刑事が殉職したのもこの年の7月だった。

次回1974年(昭和49年)-中学3年-に続く

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2016年5月30日 (月)

自分の音楽史(1973年)

1973年(昭和48年) -中学2年生-

坊主だった頭も、2年生にもなると髪の毛が伸び始め、ロックギタリストのように長髪にしたいと思い始める。(何事も恰好から入りたがるのは今でも変わっていない)
さすがに肩にかかると校則違反になるため、ビートルズを意識したヘアスタイルに。

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そしてこの年に、その後の自分に影響を与えるアイテムを手に入れる。

ひとつは、釜石市内唯一の楽器店で買ってもらったE.ギター。もちろんいまでも現役👍

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ふたつ目は、ラジカセ(ナショナルテープレコーダーMAC ff)

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当時の価格で34,800円!カタログ?取説
大卒の初任給が57,000円とすると、現在の価格に置き換えると約12万円ほど。エレキギターの値段は覚えていないが、おそらく最低でも2~3万円はしただろう。

このラジカセを購入する前は、ボロボロのカセットレコーダーを使っていた。もちろんラジオは付いていないので、エアチェックなどは出来なかった。

この2つのアイテムを手に入れたことで、ますます勉強をせず、洋楽にドップリと浸かっていくことになる。

次回、1973年その2に続く

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2016年5月27日 (金)

自分の音楽史(1972年)

1972年(昭和47年) -中学1年生-

大きめの学ランを着て、頭はとりあえず坊主頭にして中学生に。バスケット部に入部。中学を卒業した時から身長は伸びていないので、3年間で20㎝以上は伸びたと記憶している。

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相変わらずアイドル歌手の歌を悶々と聴きながら、洋楽にどっぷりとハマっていく。そしてこの年の暮れにフォークギターを買ってもらい、アイドル歌手からフォークの世界に興味を持つことになる。

よしだたくろうの「旅の宿」、『結婚しようよ』はこの年にヒット。

洋楽では、ニール・ヤング「harvest」、ロギンス&メッシーナ「Loggins&Messina」、カーリー・サイモン「No Secrets」などのフォーク、カントリー、ポップスと幅広いジャンルを聴き始めたのもこの頃。そして、翌年にエレキギターを買ってもらうのだが、そのきっかけを作ったバンドがディープ・パープル。「Machine Head」、いまでも名盤と言われている「Made in Japan」(ちなみにこのアルバムは、「ライブ・イン・ジャパン」というアルバム名は日本限定、世界中でリリースされたアルバム名は「Made in Japan」)

そして翌年1973年は、その後の自分に影響を与えるアイテム(エレキギターなど)を手に入れることになる。(次回に続く)

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2016年5月26日 (木)

自分の音楽史(1971年)

1971年から77年までの7年間にリリースされた洋楽ロック&ポップスのアルバム名鑑が今月初めに発売になった。

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この手の音楽本はこれまでも何冊も発売されているが、リストアップされているアルバムは執筆者よって微妙に変わるから面白い。

1971年から7年間といえば、自分が中学から高校生の頃。岩手の田舎ではなかなか新鮮な情報が得らない。月刊誌の「Music life」だけが唯一の情報源。

少ない小遣いでLP盤を買うこともできず、ひたすらラジオのアンテナを伸ばして、FMラジオからカセットテープに録音するだけ。曲の頭と最後にDJの声がかぶらないようにと祈りながら、PLAYボタンとRECボタンを同時に押していたっけ。

そんな昔を思い出しながら、自分の音楽史を1971年から遡ってみようと思う。

1971年(小学校6年生)

南沙織の「17才」に夢中になっていた頃。井上順の「昨日・今日・明日」もなつかしい曲。洋楽ではショッキング・ブルー「悲しき鉄道員」、ジョージハリスンの「マイ・スウィート・ロード」もこの年にヒットしている。そんな頃によく聴いていたアルバムはエマーソン,レイク&パーマーの「TARKUS」、スティーヴ・ハウが加入したYESの「Fragile」だった。アイドル歌手の歌謡曲を聴きながら、一方ではプログレッシヴ・ロックにハマリかけていた。

(次回、1972年に続く)

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